正月公演「日本浪漫学会」 2025年1月8日 鎌倉きららホール (13:30開演)

2025 年正月公演

「日本浪漫学会」

2025 年1月8日(13:30 開演)

鎌倉きららホール

ジュン葉山と和泉元彌 鎌倉の北条時宗から七五〇年

出演:ジュン葉山、平野ユキノリ、山下優樹

ゲスト出演:和泉流狂言宗家和泉元彌、和泉淳子、
三宅藤九郎、和泉節子、和泉采明

プロデューサー&プログラム制作:日本浪漫学会会長 濱野成秋

We held Shogatu-koen or New Year Concert at Kirara

Kamakura Hall in the memory of the 750th anniversary

of Genko or the Sudden Attack of Fubirai Hern from

the mainland Asia.

Motoya Izumi of Traditional Kyogen Artist was very

kind enough to collaborate our program, to which we

would like to sincerely show our gratitude.

第一部 愛の今昔

1. その昔、「蘇州夜曲」という名曲が…

これは1940年に発表された「支那の夜」という128分の長編映画で使われた劇中歌である。

作詞が西條八十、作曲が服部良一。当時、美人女優として絶大な人気を誇った李香蘭が、水の

都蘇州での舟遊びで、うっとりしている姿に、世の男性はみな参った。てっきり中国美人だと

思った人が多かったが、李香蘭は日本人で固い国語の先生だった家の子。本名は山口淑子で、

戦後裁判にかかり、国外追放となった。筆者も同じ川で舟遊びをした経験があるが、国際恋愛

を憚る当局の心情も解かるが、ファン層はお構いなしで、彼女が日劇に来た時には、あの円形

ビルが3重に取り巻くほどファンが集まった。歌詞も良し、曲もよし、こんにちでも多くの歌

手が歌うけれども、微妙で、はかない、陽炎のごとく消える愛のため息がそこにある。

2. はやま恋唄

(橘かほり作詞、ジュン葉山作曲)

蘇州夜曲の恋歌は時代がわるい。同じ恋愛関係でも、それ自体が慎めと言われる要素もある。

だが現代なら、同じ日本人通し、恋愛は問題ないか? 時代が変われど、家柄や家の格、跡継

ぎ問題などで、自由恋愛はご法度となる。「はやま恋歌」の場合は、神の教えが気にかかる。

まして修道女の身分であれば、当人は罪の意識に苛む。

この作品は修道院の御心に甘えて愛を貫く、あどけない少女の物語である。作詞に当たり挨

拶に上がった橘に優しい修道女の方々のご厚意うれしく。白砂清松の町にけなげに生きた女性の

愛に生きる罪深き道。作詞橘かほり作曲ジュン葉山の新作シリーズには、いずれも悶々たる悩みの

果ての光明に託す想いがある。ご期待ください。

3. なぎさ橋ブルース

(作詞橘かほり 作曲ジュン葉山)

テレサテンの歌に、「奪えるものなら 奪いたいあなた、そのために誰かを泣かしてもいい

…」と絶叫する恋は今の時代、わんさとある。奪っても自分の物にしたい気持ちはあっても、

それをやってはいけない、相手の家族が可哀そうだとなれば、諦める方を選ぶ。

でも、自分の心は空っぽ。まるでこの貝殻のように。それをひしひしと感じたヒロインは「な

ぎさ橋」で絶叫する。そのうち還るよ、などという気休めを言わないで、「もう、還ってこな

くていいの! 還らないで!」と絶叫する。

こう考えると、今のように、恋愛をかなり自由にやれる時代でも、当事者には節度があって、

そのことで、孤独に耐えながら絶叫するのである。

4.御成町ブルース(作詞橘かほり、作曲ジュン葉山)

新曲である。が、「なぎさ橋ブルース」の続きでもある。「なぎさ橋ブルース」が大変好

調で、つい口ずさむ人が出て来て、このままじゃヒロインが可哀そうねといわれ、遂にその

続編を書くに至った。いや、もう会うもんかと絶叫しても、未練はのこる。それにスポット

を当てた。小唄に、「返してやるんじゃ、なかったに。 ふくむ未練の夜の盃」というのが

あるが、離れても、未練が残るのも、恋人同士である。以心伝心、こちらの気持ちも、相手

の気持ちも同じで。また別の小唄に、「近くへ来たときゃ、寄りゃしゃんせ 誰に気がねが

え、あろうかいひな」と来る。後ろ指をさす小うるさい小姑連は年も年、もうこの世にはお

りまへん…というわけで。

5どじょっこふなっこ(作詞橘かほり 作曲ジュン葉山)(初演)

日本の歌謡はしばしば望郷の念で満たされる。幼友達は、田舎育ちが格別で、小川や池で

釣りをやり、川遊びでは粘土取り。泥鰌や鮒を母に与えて煮て貰い、食べることもしばし

ば。秋の田には田螺を取って食卓に。柿を取っては喰い、栗を見つけては囲炉裏で焼いて食

らい、そんな遊びが毎日続くと、子等の結束は都会の子等とは比較にならないほど、強いも

のになる。時には小川遊びでパンツが濡れて、脱いで干している間に、お医者さんごっこ。

男女の間違いがその時に自然と起こり、子供心にしっかり残って思春期に、大人に。都会に

出てもそれは忘れない…。「どじょうっこふなっこ」はそんな幼い仲間だった男女の素朴な

性の物語から始まる。

6.夜のプラットホーム (昭和歌謡・戦中戦後)

この歌は出征したら生きては帰らないと覚悟を強いられる時代に作詩された歌。よく聴くと、恋

人ともう会えないので、女性はさめざめ涙を流して悄然と佇み、寂しく笑って「泣かないで、泣か

ないで」と慰める兵士の心情が痛いほど解かる。戦時中発表されて発禁となり、戦後22年に二葉

あき子で21万枚の大ヒット。本来淡谷のり子の持ち歌だったが、訳あって戦後二葉に。作詞の奥

野椰子夫は慶大文科卒。さぞ無謀な戦争を嘆くに余りある思いであったろう。1902年生まれで1981

年10月8日死去。つい最近まで生きておられたのに、亡くなる前にお会いする機会を持てず残念

至極。いい歌詞を有難う。涙と共に脱帽。作曲に協力した服部良一はこの悲しみと憤りの気持ちを

当時としてはカッコ良すぎるタンゴ調に仕立て上げた。文句なしの和製タンゴの名曲中の名曲で

ある。それを涙と共に歌い、当局から発禁処分となった淡谷さんにも脱帽である。

Jun Hayama, Singer-song writer, sang some of

her own new songs as were mentioned above but

with some exceptions. No.2“Hayama Love

Song”on religious offensive, No.3 “Nagisa

Bridge Elegy”on lost‐love repentance, No.4

“Onaricho Blues”on regaining lost₋love, but

No.1 “Soshu Nocturne” actually very popular

prewar days in China, and No.6 “On the Evening

Railway Station”meant saying forever Sayonara

to the lover going to the battle field with

little hope of coming back alive.

第二部 運命の今昔

古賀メロディを求めて

昨年はジュン葉山を始め、古賀メロディをこよなく愛する明治大学マンドリン倶楽部の

コンサート・マスター山下優樹君、同志社大学マンドリン倶楽部出身のプロ奏者平野ユキノ

リ氏を迎えて、「古賀政男生誕120年記念コンサート」を多彩に展開してきました。

古賀メロディはまさに、「日本の心」を後世に伝えるに相応しい存在であり、美空ひばり

さんの歌唱力をあそこまで高めたのも、古賀先生ありてこそと存じます。

古賀政男氏は人間的に実に心の温かい人格者で、とくに両親を大事になされ、その関係者

も私共の古賀メロディを愛してくださり、公演にお越しいただくという栄に浴しておりま

す。生誕120年の記念事業も私共の渾身の努力で結実しております、

この第 2部では先生のご業績をとらえ、なおかつ不十分な点を質して、今後も古賀メロデ

ィの顕彰のために努力を続けてまいる所存です。

1.「粉雪のレクイエム」

これは、2024 年正月に起きた能登半島地震により亡くなられた方々の鎮魂と一日も

早い復興を祈念したジュン葉山作詞作曲の持ち歌。時とともに人々の記憶は風化する

が、歌に残すことで、その時に何が起こり、深い悲しみを背負いながらも力強く生き

ていくことの意味を再び噛みしめることができる。古賀先生とその子孫の方々に捧げ

て。

Jun Hayama wrote and composed this song entitled “A

Requiem of Powder Snow” with the deep agony for the

people in the Noto Peninsula, who suffered disastrous

damage from the earthquake occurred at the New Year’s

day of 2024.

2.平野ユキノリ作曲によるマンドリン演奏「木屋町しぐれ」

これは橘かほり作詞 平野ユキノリ作曲演奏 ジュン葉山歌唱が定番であるが、敢

えて平野ユキノリのマンドリン演奏で聴いて頂く。木屋町は京都の繁華街。木屋町通りに

近く、高瀬川が流れ、瀬音もゆかしい情緒満点の料亭が軒を並べる。京都には大学が多く、今は

学生たちがたむろして人生の良き想い出をつくる。作曲家平野ユキノリもその一人。恋人と悲し

い別れを告げたのも。橘はその心情を汲んで詩を作り、平野に献じ、平野と恋人の未来を占うか

たちで励ましたがそれは果たして現実になるや否や。お聴きください。

3.Shake the Bio

平野ユキノリによるマンドリンのソロ演奏

4.「春の海」

宮城道雄の名曲「春の海」を同志社大学出身の平野ユキノリと明

治大学マンドリン倶楽部コンマスの山下優樹による二重奏。

「春の海」or “Spring Sea”is now very popular in Japan,

but originally it was composed by Mr.Michio Miyagi, who

with no eye sight,is a gifted player of Japanese

traditional harp, depicted calm and gentle spring sea

waves so elegant in his tune.

古賀メロディメドレー(平野と山下のマンドリン)

西洋人のクリスマス思慕と京都人の祭思慕には、そのロマンと郷愁という点では共通性が濃厚

にある。京都では現在でも玄関にお宝を飾る風習があるのは、西洋人のクリスマスの飾りつけへ

のノスタルジアとそっくりである。両方とも先祖や幼い日々に思いを馳せる。音楽でも共通して

いて、「祇園小唄」に似た風物を歌う曲目がたくさんあるように、西洋にもクリスマス関連の歌

は列挙されているだけでも」100曲を超える。

古賀メロディが郷愁を含んで心を打つのも、京都人の回帰心を歌にするに通じる。

What we call“Koga melody”now used to be here in Japan

so much well-known tunes that many Japanese people did not

forget to hum even after the war when we were no longer

obliged to go to fight battles. Enforced or not, Japanese

natives had to endure everyday hard work, otherwise we could

not have survived with scarce foods and opportunities to

live long.

Masao Koga himself had hardships even when young.

Masao loved his mother so much, but no matter how hard he

tried to work, he could not make his mother happy and

affluent at all. In later years, however, so many of his

songs were sold that he became very well-known.

5.ノストラダムスの魂 “Soul of Nostradamus”

Lyrics by Kahori Tachibana Music by Jun Hayama

これは雅号が橘かほりの作だが真筆は濱野成秋。ジャパンがとんだウクライナと成る

想定さえある暗鬼夜行の作品。浪漫にもダーカーザンブラックと言える。

休憩

14:00~14:15 (15分)

第三部 元寇七五〇年

「時」の小笹舟

14:55~15:40(45分)

先ほどの「ノストラダムス…が、音源で流れる中を緞帳が開き、ジュン君、登場。MCで「クリ

スマスやお正月は何が起こるか判らない。降って湧いたような災難も避けられない。人は「時」の

小笹舟に乗って帰らざる川を下る。今を去る 750 年前、日本に押し寄せた蒙古の大群がありまし

た。(元彌登場でジュン君が紹介。会場から拍手)

ジュン葉山:時の執権北条時宗の苦悩をNHK大河ドラマの主役で再現された和泉元彌さまを、本日、

お迎えしました。Q.NHK大河ドラマで北条時宗役の和泉元彌と対談。元寇のような大災害が防ぐ

に当たって、北条時宗役を、どのような心境で臨まれましたか? を少々語っていただき、あとは

演技で…

狂言宗家和泉元彌と対談と演技

NHK 大河北条時宗の心を再現

Motoya Izumi, Kyogen Master of Izumi Clan, played

the role of Shogun Tokimune of the Kamakura

Government in the NHK Taiga Drama. And now he was

kind enough to collaborate with us successfully

showing the importance of peaceful relationship with

any country in any time.

お礼の曲⑴ As Time Goes by 作詞作曲 Herman Hupfeld 歌唱ジュン葉山

この曲は、ハンフリー・ボガードとイングリッド・バーグマンの共演で有名な映画「カサブランカ」

で愛し合った二人の思い出の曲として切なく流れる。どんなに時が過ぎても、世の中がどんなに変わ

っても愛は変わらず。1931 年に作られ、1942 年映画のヒットと共にスタンダードナンバーとなった。

今宵はマンドリンの美しい音色と共にたゆとう「時」の流れをお楽しみください。

◎大団円。出演者全員集合(音源流して)

◎アンコール

15:40~15:45(5分)

「もう一度直球勝負」作詞作曲 歌唱 ジュン葉山

バブルと呼ばれる好景気に沸いた1980年代後半から1991年は、浮かれた時代とネガティブにとらえら

れがちだが、日本の人々がエネルギーにあふれ希望を持っていた時代でもあった。その後日本は一転「失

われた30年」という低迷期に陥り、度重なる自然災害や、未曾有のコロナ禍も景気回復の足枷になった。

人生 100 年時代、人々がもう一度元気を出す事で、再びエネルギーと希望のある未来を作りたい、とい

う願いを込めて作った歌。コンサートの最後に和泉宗家はじめ出演者全員とステージ上で、また会場の

皆さまと一緒に唱和し、和やかな終了となった。

“Brave yourself!” Music and lyrics by Jun Hayama

The period of the Japanese bubble economy in the late 1980s

and early 1990s, often tends to be viewed negatively as a time

of “an extravagant and frivolous era”, but also represented

a period of great, energetic optimism, when people held strong

hopes for the future. After that, Japan has fallen into

declining years. Jun Hayama composed this song to encourage

people again in future filled with positive energy and hope.

The concert concluded with a joyful atmosphere as all the

performers gathered on the stage and sang together with the

audience. We were very pleased and grateful to have favorable

support by so many people all over the world.

Seishu Hamano, Hayama, Japan

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